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家族に癌が分かったら、、、

がんで亡くなられた小林真央さんの件、ぱんだが思うことを書きます。
 
父が亡くなる13年前、体調を崩しながらも(がん摘出したが再発)ぱんだの開業地を探し回っていた時、勤務していた大学病院を辞めて完全にフリーな状態だったためか、先輩などから手が空いているのならアルバイトを と頼まれました。毎日ではないし、いいかなぁ と思って始めました。
 
そんな中、少しずつ悪化する父から、実家で開業しろ と言われました。父も焦っていたのかもしれませんね。私も地元開業とは考えていなかったので、一気に話を進めました。
 
設計がある程度、完成する頃、父が動けなくなり入院。主治医からは退院はもうできないと言われました。言葉の意味は分かっていたのですが、実際、人が死に行く過程というのは、分からないもの。毎朝、おはよう、行ってきますなど普通に言葉を交わしていたので、尚更です。主治医だけではなく、看護師からももっとそばに とストレートではないのですが、言われていましたが前述の通り、まだ大丈夫と勝手に考えていました。
 
当時、アルバイト先で失敗が続いていました。しっかりしているつもりでもどこか集中力が無かったんでしょうね。勤務先からも先輩からも一時信頼をなくしました。今、改めて迷惑を掛けた先生方に謝りたいと思っています。
 
さて、父の意識がなくなる日、いつものようにアルバイトに行きました。行ってきますと言うと おう、早く帰って来いよ と言われました。夕方、家族から早めに帰ってきてと連絡が来たので直帰。病室に入るとすでに意識がありません。なんとか起こして、ただいま、遅くなったねと声を掛けるも、寝かせてくれと返答。結果的にこの言葉が会話の最後でした。
 
前置きが長くなりましたが、ここから私の言いたいことです。真央さんも私の父も言葉では、海老蔵さんを、自分の身体をいたわってと言っていたことでしょう。でも、私は、仕事をせずに24時間一緒にいてあげれば良かったとずっと後悔しています。
 
海老蔵さんは真央さんが亡くなられる直前まで舞台だったそうですね。周囲からは良くやっている、辛い中、感動しました などなど称賛を浴びていました。ですが、同じような境遇を経験してきたものとして、私はあえて言いたい、舞台なんか中止にして、そばにいるべきだったと。
 
一番、そばにいて欲しい人がそばにいない。そのまま意識がなくなる。こんなに悲しい、寂しいことはなかったと思います。看取ったからいいではなく、意識がなくなるときこそ、そばにいてあげなければ と強く感じます。海老蔵さんの舞台もいいものだったのでしょう。私には分かりませんが、同じ舞台にいた共演者やスタッフたちは、海老蔵さんの動きをどう見ていたのでしょうか。もしかしたら、少し動きが良くないなど感じていたかもしれません。そうであれば、やはり、仕事は投げ捨てて、真央さんのそばにいてあげて欲しかったなぁと私は思います。
 
これは、私の考えです。海老蔵さんのような華のある方たちと比較、コメントするなんてと思われるかもしれませんが、私のように海老蔵さんが苦しんでいないことを願うばかりです。
 
真央さんのご冥福をお祈りしております。 合掌  2017年8月

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